最新記事
ウィルタンクとキナックス「御朱印帳」トップ >
お百度ットコム
> 四踏み目 木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)
四踏み目 木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)
2007年07月13日
●木嶋坐天照御魂神社(蚕の社) 所在地 京都府京都市右京区太秦森ヶ東町50
●祭神
天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命
●ご利益
秦氏の氏神様。蚕の社は織物やアパレルの神様として信仰されている
ボクは「ムー」男だった
出張して時間が出来たため、以前から気になっていた木嶋神社(正式には木嶋坐天照御魂神社=このしまにますあまてるみたまじんじゃ)に行ってみた。京都は、東映映画村で有名な太秦というところにあって、JR京都駅から地下鉄、嵐電に乗り継いでいく。嵐電は路面電車で、旅情あふれまくりの京都の中でも、さらに3割増の旅情(当者比)を感じさせてくれた。
そこには、不思議な三本足の鳥居がある。
ボクがこの神様の存在を知ったのは、ボクがまだ「ムー」読者だった高校生の時だったと思う。
例によって、日ユ同祖論関連の文脈の中で登場した。ユダヤ教、ネストリウス派のキリスト教(景教)との関連があるとかないとか。
嵐電の蚕の杜駅を降りるとすぐに一の鳥居があり、門前町風のしゃがれた街並を抜けると、そこに鎮守の杜があった。
白木の鳥居と木々が結界となって、何やら不可思議な雰囲気を閉じ込めている。 ===
蚕の杜
ここは嵯峨野の氏神さまということで、何でも創建は604年と伝えられている。604年といえば、聖徳太子のころ? 調べてみると十七条憲法を制定した年らしい。
木嶋というのは、木々が生い茂って島のように見えるということ。謎が多い神様のようで、それをいちいち書くには、スペースと勉強不足がわかるので中略。
今は、本殿東側にある蚕養(こかい)神社という織物の神様を祀ることで、繊維産業に関わる人の信仰が篤く「蚕の社(かいこのやしろ)」といった方が通りがいいようだ。
西陣織などの旦那衆という協力なパトロンがいたため、主役よりも脇役の方が有名になったということか? ここんところの機微は、ちょっと分からない。
実は、木嶋神社が蚕の杜だと分からずに、嵯峨野にあるらしいといううろ覚えの情報で、嵐電に乗った。「嵐電に乗りどの駅で降りたらいいのだ?」とケータイ電話で検索しているうちに、そうだと知った次第。あまりにもマニアックな所に行こうとしていたのか? と焦りながらもとちょっとした優越感を感じていたが、駅名にもなり、観光マップにも掲載されているメジャーな所に向かっていたのだ。
知ったかぶりはダメだな。
歴史もあり、人気もある神様で、ボクが参拝していると、観光タクシーに連れられて壮年なカップル(というか夫婦)もやって来た。
タクシーの運転手さんのガイドにそれとなく耳を傾けていると、京都市内でも最古のグループに属する神社で、境内全域に古木が残っていて、全域が京都市の史跡になっているという。ふーん。 ===
三柱鳥居に対面
さて、境内は森閑としている。あるいは深閑か。京都弁のタクシー運ちゃんもひそひそ声だし、お客の感心する声もひそひそ。拝殿の前で三人でなにやら相談しているような感じだ。それを一人で見ているボクもコソコソしている。
鳥居をくぐって向かって右手に養蚕神社。正面に何だろこの建物は。その奥に社殿があり、向かって左手に三柱鳥居がある。今は干上がっているが、この鳥居が立っているところは「元糾の池」という池で、10年ほど前まではこんこんとわき水が出ていたという。さらにさかのぼると、その水はいわゆる「名水」というヤツだったそう。
三本足の鳥居。上から見ると正三角形で、柱は八角形。三方から見て正面となる。いつも見ている鳥居に一つ柱が加わるだけで、こんだけ異形に見えるとは。ムーではないが「何かある」と思っても仕方がない。
嵯峨野は渡来人の秦氏が根拠地とした場所で、彼らは養蚕・織物の技術に秀でていたとか。秦氏とは秦の始皇帝の末裔とかいう伝承もある。
後に、越後屋の三井が篤く信仰したというから、大富豪の徳にあやかろうという人で、にぎわったことだろう。信仰とは、対象ではなく、だれが信じたか、ということで広がるものなのだな。 ===
保育園とお稲荷さん
さて、いつものご祈願も終わって、末社をめぐって帰ろうか。
ここの神社さんは、保育園を経営しているらしく、末社に行く途中、保育士さんの声が聞こえてきた。「うわー、すごい風だ、台風はこわいなー」。窓からのぞくと、紙芝居方式で台風の怖さ及びその傾向と対策を教えていたようで、園児たちは口をあんぐりとして眺めている。
のどかな気分になり、末社のお稲荷さんをのぞくと、コ、コワイ。
ボクはコックリさん世代。小学校のころ、授業中にコックリさんしていたヤツが先生に見つかった。
そのうちの一人が、ブルブル震えたりして妙になり、放課後改めてコックリさんを再開。すると、十円玉が「あ、ぶ、ら、あ、げ、を、そ、な、え、ろ」なんて動いたからもう大変。おかしくなったヤツは、放課後「コーン」なんて叫びだしたりしたから、あわてて学校の近くの神社に油揚げをお供えに行ったこともある。
今考えると、ヤヒロ君をビビらせようとしたアイツとアイツの仕業だな、と思えるが、その当時は「どうしていいか分からない恐怖」に打ち震えたものだった。
台風なんかより、こっちの方がコワいだろう。コワいというのも、私情に訴える何かがある。歩きつつ、そういうことも考えてみなければなるまい。
木嶋神社に関する情報
京都・蚕の杜 木嶋神社の湧き水を復活させる会HP
「京都太秦どっとねっと」の特集ページ
● 執筆者: 高野龍也
高野龍也 1971年福岡市生まれ。印刷会社営業から、地元出版社勤務、フリーペー パー発行などを経てフリーライターに。2001年から3年間、某紙 企画で九州各地を取材して放浪。市町村単位で150市町村を踏破。 2005年10月よりペーパーカンパニーに参画。現在も紙面、企業広報紙、ホームページなどにて執筆。趣味は、写真を撮ること。パイプおよび喫煙。散歩。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL