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十二踏み目 濡衣塚
2007年07月22日
●濡れ衣塚
所在地 福岡県福岡市博多区千代3丁目
●祭神
春姫?
●ご利益
十三仏が一緒に祀ってある。春姫の冥福を祈ろう
「濡れ衣を着せる」は博多発祥
呉服町から石堂大橋で、御笠川を渡る。その橋のすぐそばに、史跡「濡衣塚」がある。
交通量が多い国道三号線が走るが、歩道を歩く人はほとんどない。足の長い西日を浴び、石に刻まれた文字が浮かび上がる。この塚にまつわる事件が「無実の罪を負う」を意味する「濡れ衣を着せる」という語源となった。
伝説はかくある。
聖武天皇の時代(奈良の大仏造営を命じた人)というから今から千二百年も前のこと。筑前の国の国司に、佐野近世という人が赴任した。単身赴任ではなく、妻と一人娘春姫を伴ってきたのだが、妻が在任中に亡くなってしまう。そこで近世は土地の娘を後妻にもらい、その間に一女をさずかった。
ところが後妻は、春姫がうっとうしくてたまらない。そこで一計を案じた。
志賀の浦の漁師に「夜春姫さまがやってきて、私たちの釣り衣を盗むので困っています」と、近世に訴えさせたのだ。
朝近世が、春姫の寝室をのぞいてみると、確かに釣り竿と釣り衣らしき濡れた衣を寝具の上にかけて眠っている。何でわざわざ濡れた衣服をかけて眠る必要があるのか? なんて、近世は考えない。我が娘の罪に怒り、春姫を切って捨てた。
一年後、近世の枕元に春姫の亡霊が立って、無実の罪を訴えた。すると、近世はたちまちにおのれの非を知り、出家してしまった。
近世は生きていた時の娘の声に耳を貸さず、亡霊の言葉を信じるスピリチュアルな人だった。
近世は、博多に七つのお堂を建て、娘の霊を弔う日々。
今でも、西鉄バスのバス停に「奥の堂」があるが、奥の堂は七つのうちの一つ。
近世は松浦に居を定め、松浦上人と呼ばれるようになった。
物語のディテールは数バアージョンあるようだが、概略こんなところ。その後、近世は、春姫の霊に許されたという話は残っていない。上人と呼ばれるからには、多くの人に慕われるお坊さんになったということだが「許されていない」と思いながら余生を過ごしたとなると、過酷な人生だ。
● 執筆者: 高野龍也
高野龍也 1971年福岡市生まれ。印刷会社営業から、地元出版社勤務、フリーペー パー発行などを経てフリーライターに。2001年から3年間、某紙 企画で九州各地を取材して放浪。市町村単位で150市町村を踏破。 2005年10月よりペーパーカンパニーに参画。現在も紙面、企業広報紙、ホームページなどにて執筆。趣味は、写真を撮ること。パイプおよび喫煙。散歩。
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