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十三踏み目 飢人地蔵
2007年07月23日
●飢人地蔵
所在地 福岡県福岡市博多区中洲2丁目
●本尊
飢人地蔵
●ご利益
享保の大飢饉の犠牲者を弔い、飽食の生活を戒める
享保の大飢饉
酒池肉林。中洲にとんと縁がないボクは、遠巻きに中洲をそんなところだと思っている。
男の見栄とか劣情とか、そんな私情すらくわえこむギンギラのブラックホール。その一角に、場違いとも思えるお堂がある。「飢人地蔵」。どうやら中洲の歴史も、奥が深いようだ。
飢人地蔵は東中洲と川端町を結ぶ、水車橋の側に祀られている。飢人というのは、江戸時代に起こった享保の大飢饉で亡くなられた被害者の方々のこと。
享保というのは、「暴れん坊将軍」こと徳川吉宗が将軍のころ。
享保の大飢饉は、中国・四国・九州を中心に起こったもので、1732年の冬から天候不順が続き、翌33年には、梅雨の長雨による冷夏、害虫の大量発生。稲の不作による食糧難、病気の蔓延などで被害が続き、さらに翌34年まで尾を引いた一大飢饉。
ちなみに徳川吉宗は、享保の改革を行った「名君」とされている。が、改革の一つでもある税制改革(豊作だろうが凶作だろうが「これだけは納めよ」という「定免法」に変えたこと)が、飢饉の被害を拡大させた一面もある。
江戸時代の改革の前提は、幕府存続のため。今の政府も、現体制を維持するために「改革」をしているだけのような気がしないでもない。美しい国っていったい…。
● 執筆者: 高野龍也
高野龍也 1971年福岡市生まれ。印刷会社営業から、地元出版社勤務、フリーペー パー発行などを経てフリーライターに。2001年から3年間、某紙 企画で九州各地を取材して放浪。市町村単位で150市町村を踏破。 2005年10月よりペーパーカンパニーに参画。現在も紙面、企業広報紙、ホームページなどにて執筆。趣味は、写真を撮ること。パイプおよび喫煙。散歩。
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