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フカチメNo.002【 対馬小路 】
福岡市博多区にある地名。有名だから読める人も多いのでは?
★対馬小路の地図はコチラ
読めました?【 対馬小路 】
「つしまこうじ」ではないんですね。
これ
「つましょうじ」
と読みます。
はい。関連があるのです。「対馬小路」は、宗対馬守義智が豊臣秀吉から拝領した対馬藩の蔵屋敷があったことが由来していると言います。「石城志」という影印本(複製本)所在の絵図には「ツシマ小ジ」という読みがついていたそうです。
なんだ「つましょうじ」じゃないじゃん。
もともと「つしましょうじ」でもよかったんだ。
じゃあ、なぜ「つしましょうじ」でなく、「つましょうじ」という読みが定着したんでしょうか。
うーん、調べたけど分かりませんでした。
ただ、邪馬台国に関する記述で有名な『魏志倭人伝』に「對馬國(対馬国)」の表記があり、それを「つまこく」と読む場合があったようです。なので、「対馬」を「つしま」だけなく「つま」と読むことも少なくなかった。のかな。あくまでも私の推測ですけど。
博多の町には対馬小路のほかに、一小路・中小路・金屋小路など、「~小路」という町が七つあり、七小路と言われていました。七小路は、九州征伐を行った太閤秀吉による太閤町割りで作られました。太閤町割りは、焼け野原となった博多の町を復興するために行われたもの。今となっては、七小路のうちその名前が残っているのは、この対馬小路だけです。
ちなみに太閤町割りでは、博多の町を七条の袈裟になぞらえる七七四九願をあらわし、博多を一山の七堂伽藍にたとえたそうです。 七小路のほか、山笠の七流れや、奧堂・普賢堂・石堂などの七堂、蔵本番・奈良屋番などの七番、七厨子、七口、七観音を町に設けました。
う~む、豊臣秀吉なんて歴史上の大人物が博多の町にこんなに関わっているとは思わなかった。奥堂(おくのどう)とか石堂(せきどう)とか、変な地名も、こういうゆかりがあったんですねー。奥深い。