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二十四踏み目 福岡関帝廟
2007年08月06日
親富孝はアジアンな街になったか?
そのことを知ったのは、親不孝通りに編集部がある「FUKUOKA NOW」を見て。あの通りも紆余曲折を経て(今も瞑想中な感じがしないでもないが)、ああいう風になった。クラブにも飲み屋にも縁がないボクは、ほとんど私情を感じない街になってしまったが、それでも関帝廟には私情アンテナがピピッと、立った。
関帝廟がどれだけ周知しているのか、とても微妙なので場所を説明すると…。昭和通りから親不幸通りに、吉野家の向かいっかわの道を入ってすぐの、駐車場の中にある。
車が入るところの横っちょに、関帝廟の看板があるが、なぜかカッパが鎮座。「ともに生きよう」だって…。![]()
この関帝廟は、親不幸通りを「アジアンタウン」にしようという構想のもと、2002年12月に創建された。おそらく、福岡に最も新しく勧請された神様であろう。
とはいえ、福岡をアジアンタウンだ! というのに、はなはだ違和感を感じてしまうボクだ。
実際古代から博多周辺は支那や朝鮮民族との交流が盛んだったのだから、そういった意味では「アジアの玄関」の一つであることには異論はない。
でも、アジアンでエキゾチックなイベントや町づくりに、お尻をモゾモゾっと触られるような感覚を覚えてしまう。
外から入ってくるものを受け入れて、大胆に咀嚼してデイリーなものに変えてしまう。親不幸通りでは、そんな博多文化な町づくりを、切に望む。
● 執筆者: 高野龍也
高野龍也 1971年福岡市生まれ。印刷会社営業から、地元出版社勤務、フリーペー パー発行などを経てフリーライターに。2001年から3年間、某紙 企画で九州各地を取材して放浪。市町村単位で150市町村を踏破。 2005年10月よりペーパーカンパニーに参画。現在も紙面、企業広報紙、ホームページなどにて執筆。趣味は、写真を撮ること。パイプおよび喫煙。散歩。
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