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其の弐 法力全開 日蓮上人 福岡市東区 

2007年11月27日
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 日蓮さんの銅像は、とても印象深いんです。小学6年生のとき、夏休みの自由研究のテーマになぜか元寇を選んでしまったボクは、福岡市東区の東公園にある元寇資料館へと足を運びました。日蓮さんは、資料館のそばに建っていたのですが、そのインパクトたるや…

 資料館では、おそらく「てつはう」とかいろいろな資料を見たはずなんですが、今となっては何にも憶えてません。このたび、あらためて出かけましたが、やっぱりデカかった…。
 正式名称は「銅造日蓮聖人立像」(にちれんしょうにんりゅうぞう)です。
 なんと04年11月には、建立100周年を迎えました。11月28日には、100周年の大法要が行われました。

カリスマ僧侶

 日蓮上人といえば元寇を予言した人という、神秘的な人と勘違いしている人が多い。
 上人が著した書物「立正安国論」で「モンゴル軍が侵略してくるぞ!」と警句を慣らし、実際に2度の元寇があり、予言は成就された形になった。
 だが、ユーラシア大陸の津々浦々まで進行していたモンゴル帝国の野望を知っていたら、日本への侵略の予感を持つのは、ある意味当然だといえる。
 日蓮上人は、神秘的な予言者ではなく、情報収集能力、分析力、そして危機意識=想像力が長けていた人ということになる。

 日蓮さんは、自分の教え以外を「邪教」と攻撃した。
 その邪教を許す鎌倉幕府まで徹底的に批判。一度は伊豆に流され、やっと鎌倉に帰ってきたらと思ったら幕府を攻撃する内容の「立正安国論」を幕府に提出。再び佐渡島に流され、処刑寸前までいった。
 自分の考えを純粋に行動に移したその心根には感服する。が、宗祖がそういうご仁だったためか、その宗旨は原理主義。日蓮さん本人=教祖を崇めるような、ほかの鎌倉仏教とは毛色が違う教団を造り上げた。

顔が戦っている

  厳しい表情。大モンゴル帝国からの突風=侵略を真っ向から受け止めるかのような立像は、かなり骨太な感じ。高さ10・6メートルもあり、迫力がある。「銅像日蓮聖人立像」は元寇の記憶を風化させないため、「文永の役」激戦地であったこの地に、建立が計画された。岡倉天心に制作を依頼し、完成したのは1904年のこと。奇しくも、ロシア帝国と戦った日露戦争が勃発した年である。神風をまたもや、吹かせてくれたのか? 

近くにはモンゴル料理店もあるぞ

日蓮上人像は、JR吉塚駅から歩いて3分の福岡市東公園内にある。そばには「元寇資料館」、福岡県庁がある。
 この像を見たら、立ち寄ってほしいのが、モンゴル料理店「チンギス・ハン」。歩いて15分ほどかかるが、モンゴル人オーナー・スーホさんが造るモンゴル家庭料理をゲルの中で味わえる。味付けは、モンゴルの天然岩塩。同じビルに、モンゴルへ中古車を販売する会社「フビライハン」という看板も。
 ボクの知人がこの店でモンゴルウォッカを痛飲し、道路で転んで、顔面を痛打した。という話は、とくに元寇とは関係ない。


関連データ


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データ
名前銅造日蓮聖人立像
高さ10・6m
建立年明治37年(1904)
備考平成11年福岡市指定有形文化財


















日蓮上人年表
貞応元年(1221)誕生
天福元年(1233)天台宗清澄寺にて仏門に入る
建長5年(1253)清澄山旭森にて立教開宗宣言
文応元年(1260)「立正安国論」を北条時頼に献じる
弘長元年(1261)伊豆へ配流
文永8年(1271)佐渡へ流罪、処刑寸前に
弘安5年(1282)東京・池上で入滅

執筆者: 高野龍也
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