四十五踏み目 綱敷天満宮
●所在地 福岡市博多区綱場町
●祭神
菅原道真公
●ご利益
学問の神・綱場町の産土様
綱敷天神は、もとは綱輪天神といった。平安京から大宰府へ左遷された管公が博多に到着して上陸された際。貴人を迎える敷物を持っていなかった土地の者が、綱を丸くして敷物替わりにし、そこに管公が休まれた。その故事をもってお社は創建され、綱輪が綱場に変化して、町の名前になった。
観光サインに綱敷天満宮と綱場町の由来が完結にまとめられている。
「袖の港」に上陸した菅原道真公が…という内容で、フムフムである。が、気になったのは袖の港。平清盛が日宋貿易をするために、今の呉服町当たりを築港し、そこを称して「袖の湊」という。という話は知っていたが、それ以前からあの辺りは、袖の湊って言いよったとかいな。
管公が大宰府に着任したのが901年。平清盛は11世紀の人。ささいなことだが、ちょっと気になる。博多を昔語りすると決まって「太閤秀吉さんのおかげ」ということになるのだが、平清盛さんのお蔭も相当受けている。![]()
さて、綱敷という名前の天神さんは、大阪梅田キタの天神さん(綱敷天神社)や福岡・椎田町の綱敷天満宮など各地にある。椎田の綱敷天満宮は梅の名所で、毎年シーズンになると出店がたくさん出る。梅の香りとソースの匂いと潮風が混ざって、いい案配の空気がながれる。
休み休みの西ゆきの旅。愛用のフッカフカのクッションやお気に入りの抱き枕やら(当時はないと思うが)を持っていけばよかったのに。と思うが、そんなものを持つこともままならなず、追われるように都を旅立ったようすがよく分かる。
管公といえば前の右大臣である。左遷とはいえ大宰権帥として現地赴任する途時である。地方の有力者のところに行けば歓待されてもおかしくはない。
敷物すらない寒村に立ち寄らなければならない、のっぴきならならい事情が管公一行にはあったと想像はつく。
都から大阪(綱敷天神社)を通って瀬戸内海を船で下り、いったん椎田の当たりに上陸(綱敷天満宮)。関門海峡を抜け、袖の湊にたどりつく(綱敷天神)。大まか、このルートは管公一行の旅路として認定されているようではあるが、博多から大宰府にいたる道ははっきりしていない。この綱敷天満宮は、管公の大きな足跡でもある。
高野龍也 1971年福岡市生まれ。印刷会社営業から、地元出版社勤務、フリーペー パー発行などを経てフリーライターに。2001年から3年間、某紙 企画で九州各地を取材して放浪。市町村単位で150市町村を踏破。 2005年10月よりペーパーカンパニーに参画。現在も紙面、企業広報紙、ホームページなどにて執筆。趣味は、写真を撮ること。パイプおよび喫煙。散歩。
このエントリーのトラックバックURL