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シナリオ要らずのプレゼンをっ・・・
40も過ぎて・・・やっと、プレゼンテーションを楽しむことができるようになった。
仕事なので、楽しむというのは、語弊があるが・・・
プレゼンをやっている私は、何を楽しんでいるのか、ちょいと考えてみた。
まだ、企画書を書くという仕事を始めた頃、尊敬する上司からこんなことを言われた。
「書く」という行為は、「話す」という行為よりも、30倍ぐらい頭を使ってることになるから、
一枚の企画書に書いていることをそのまま読んだら1分でも、
実は、その30倍=30分くらいの話はできるはずだと・・・。
その教えに従って、プレゼンでは、
企画書には書いていないことを、一生懸命メモ書きし、シナリオを作った。
ここで、こう笑いをとって・・・
ここで、こういうエピソードを入れて・・・
ここで、こういう〆をして・・・
完璧なシナリオは・・・残念ながら、
完璧なプレゼンドラマになることは、ほとんどなかった。
プレゼンテーションの場は、舞台ではなく・・・
コミュニケーションの場であるとこに気がついたのは、30も後半になってからだ。
いやはや、遅すぎるっ。
プレゼンテーションの場は、生きている。
粛々と用意したシナリオを進行しても、クライアントには、響かないっ。
若気の至りで、恥ずかしいこともいっぱいしてきたっ。
人のコミュニケーションは生きている。「ライブ」である。
話している当の本人が、
自分の話にどれだけ興味があって、
どれだけドキドキしながら、
自分の想いを追っているかという状況に、相手は反応するものだっ。
話している側が、その話している状況や思考を、
おもしろがっていれば、聞いてる側もおもしろい。
話している自分に興奮し、感動していれば、聞いてる側も興奮する。
他人の前で話すとき、その内容は、事前に考えているのが常識だ。
しかし、その場の状況で、自分がどう話すかは、まったくの初体験。
その体験の中から、「新しい自分を発見する」を連続している話し手の姿に、
聞いている人は反応し、心動かされるのだ。
30も後半になってからのプレゼンでは、シナリオを用意しなくなった。
見せる企画書は、あらすじとしては使うが、
話す内容の詳細は、事前に、決めない。
行き当たりバッタリで挑んで、行き当たりバッチリにすることに力を注ぐっ。
企画書を書いてるときに思ったこと、
書類に記載はしなかったが、その時にいろいろと考えていたことを、
その場で、思い出しながら、繋ぎ合わせて話す・・・。
そうすると、意外や意外・・・いろんな情報の繋がり方がする。
話していて、その状況が、面白くなっていくっ。
自分が何を次に言うのかが・・・自分の中で、期待していくようになるっ。
そうなると、聴衆の目がいきいきしてくるのがわかる。
「ライブ会場」の、良い状態そのもの。
他人と他人がライブでコミュニケーションをする場が、プレゼンテーション。
その互いに、「発見」がなければ、そもそもプレゼンテーションをする意味がないっ。
企画書に書いていることを話すのは、「伝達」。
「説得」や「納得」のために話すのは、「下達」。
企画書に書いていることも、そのプレゼンに用意したシナリオも、
それらは、すべて過去のものであり、そこには、未来がない。
プレゼンテーションが明るい未来をクライアントと共有する場であるなら、
その場は、「新しい自分を発見」するための場でなくてはならない。
シナリオ=過去を捨てる勇気が、良いプレゼンテーションの極意だと思う。
自分自身に、自分の未来を見たいという意志がなければ、
発する「言葉」に、未来が宿らないっ。
一流のアーチストのライブは、何度見ても面白い。ドキドキする。
同じ楽曲をやっているはずなのに、いつも新鮮な気持ちになる。
たぶん、そのアーチスト達は、同じコトをやってるつもりはないのだと思う。
毎回毎回のライブに、毎回毎回の発見があるのだ。きっと。
そうじゃなくちゃ、ライブが一番なんて言えないはずだ。
プレゼンテーションは、仕事じゃないんだ・・・「ライブ」なんだ。
そう言えるようになるまでにかかった歳月は、約20年っ。
まだまだ、生きてる気がする。