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ジャーナリズムについて考える。

2008年10月20日

うーん割り切れない。
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俺たちひょうきん族で暴れるビートたけしに、明日のテレビの笑いを見いだし。
「その男凶暴につき」「ソナチネ」で、監督・北野武に痺れた。
そんな1人のファンとして、愛を込めて「フリージャーナリスト・北野武」にいちゃもんをつけたい。



TBSで10月から始まったら情報番組『情報7days ニュースキャスター』をご存じだろうか。
『ブロードキャスター』の後番組として、安住紳一郎アナウンサーをメインキャスターに抜擢した、なりもの入りのニュースバラエティ番組。そこに“顔役”になる大物として、ビートたけし=北野武が起用されている。
北野武側の意向で「司会」でも「映画監督」でもなく「フリージャーナリスト」として出演。吉崎隆編成局長は「一視聴者としてものを言わせてもらう、というたけしさんの覚悟の表れでは。たけしさんの生情報番組出演は記憶にない」とニュースにある。



最初の1回しか見ていないのだが・・・
ニュース番組でのフリージャーナリスト・北野武は、痛いっ。
「テレビタックル」で政治家と議論する論客としての北野武は、面白い。
24時間テレビでおふざけをするビートたけしに、ジャーナリズム精神も感じる。
しかしながら、フリージャーナリストとしての北野武は、成立していない。



「地球に優しくしたいなら人間殺さないといけない」と政財界やマスコミによる「エコロジーブーム」の欺瞞性および浅薄さを皮肉ったり・・・。
「僕は護憲の立場なんですよ。だけど、憲法を認めるかどうかの国民投票はするべき」と、民主主義政治の本流に切り込んでみたり・・・。
「お笑いのくせに、愛と涙ばっかしやりやがって。インチキくせえことばっかり」と、欽ちゃんこと萩本欽一の一連の活動に突っ込みを入れてみたり・・・。
その舌鋒を、個人的には、支援する。よく言ってくれたとも思う。


・・・しかしだ・・・
それは、ジャーナリストの仕事か。
そういう意見が言えたら、みんなジャーナリストなのか。絶対に、違うっ。



北野武は、私達大衆の気持ちをわかりやすく代弁してくれる論客であって、ジャーナリストではない。その意見は、社会風刺は利いているし、痛快ではあるが・・・それは、あまりに「俗」である。



「インスタントラーメンとかポテトチップスみたいなスナック食品を、これほど食っている時代は今までない。インスタント食品を食べ過ぎると、アドレナリンの分泌が異常になるって言ってる学者もいる。そう考えると、キレる子供が増えるものわかる気がする」なんて言う、俗な若者論は、あまりにも短絡的だ。タレントとしてのご意見としては、面白いが・・・それをジャーナリストを名乗ってやってはいけないと思う。安易な犯人捜しの片棒を担ぐのは、ジャーナリストの仕事ではない。
起こっているニュースに対して、その異常性を喧伝し、自分の体験を一般化して語った方が手間がかからないことはわかる。・・・が、本当にそうなのかどうなのか。状況を分析するという、地味でも大事な行為を省略して、テレビで扇動に走ってしまうというのは、いかがなものか。
それは、ジャーナリストの活動ではない。テレビタレントとしての活動だ。



現実に苦しんでいる青少年を救済するには、どうしたら良いのかと日々、現実に疑いを持ち、
現場まで足を運んで、ちゃんと論拠を見つけて・・・レポートをして、その発表の場を探り続ける。
その発する意見の責任と背景を、ちゃんと背負うのがジャーナリストとしての第一の資質である。
ウィキペディアにも『ジャーナリストの中でも、特に記事執筆のために必要なデータ収集データを専門とする人間を「データマン」、そしてデータマンの集めてきたデータを元に記事を執筆する人間を「アンカーマン」と呼ぶ。いわばデータマンはアンカーマンのアシスタン的な役割を果たしており、多くのジャーナリストはまずデータマンとして経歴をスタートし、経験を積んだ上でアンカーマンとなるのが一般的である』とある。



テレビの視聴率を上げるために、
何でも好きな意見を発してくださいと招かれるフリージャーナリストなどいない。
思ったことを、思った通りに意見できるのなら、ジャーナリストとは、いったい何なのか?



映画監督・北野武の映画には、人間とその営みに対する疑問と冷静な眼差しがある。
映画表現を通じたそれは立派なジャーナリズムになっている。
複雑で、わかりにくい・・・理解を超えた人間・北野武の生き様そのものが、
ジャーナリストの対象となりえるし、テレビでは消費し尽くせない度量がある。


北野武は、フリージャーナリストではない。
ジャーナリストの、語り尽くせない良い対象なのである。



なので『テレビタックル』での北野武は、成立している。
大物政治家と議論できる論客として、
その番組そのものがジャーナリズムの対象となっているから・・・。



しかし、『情報7days ニュースキャスター』で
フリージャーナリストとして発言するピンの北野武は、あまりに安易で魅力がない。
「一視聴者としてものを言わせてもらう」意見は、
その芸風故に、常にわかりやすく、大衆受けするものとなる。
その短絡的わかりやすさは、マス的で、消費的で、あまり本質的な世直しには、繋がらない。
フリージャーナリスト北野武は、たぶんテレビに消費される。



できることなら、次週の番組から・・・
かぶり物を身につけて、安住紳一郎アナウンサーをいじくりまわして欲しい。
その状況そのものが、ジャーナリストの対象となるような番組に生まれ変わって欲しい。

執筆者: 中村修治/へそ社長