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誰もテレビなんか真面目に見ていないっ。

2008年10月22日

真剣に私達を見てね・・・。
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デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム(DAC)が、テレビ・パソコン・携帯電話など複数のメディアを同時利用して視聴する「マルチウィンドウ視聴」に関するユーザー環境調査を行った結果が発表された (20~59歳のインターネットユーザーの男女を対象として6月に行われ、1000サンプルを人口構成比に基づいて回収)。



その中で、複数のメディアを同時利用して視聴する「マルチウィンドウ視聴」については、68.0%のユーザーがなんらかのかたちで行っており、サブデバイスとして最も多く利用しているのは「パソコン」51.9%で、続いて「携帯電話」17.2%、「据え置き型テレビ」10.9%、「TVチューナー付パソコン」7.1%という結果になったとある。


「マルチウィンドウ視聴」とは、聞こえはいいが・・・。
「据え置き型テレビ」の放送されている番組と繋がったケータイコンテンツやサイトを視聴している現実は考えにくい。
結局は、パソコンを開きながら・・・
ケータイを片手にしながら・・・テレビを観ているということなのだ。


約70%のヒトは、
「据え置き型テレビ」から流れる番組を食い入るようには見ていない。
若者のテレビ離れが騒がれているが、
テレビを観なくなっただけならまだしも・・・
観ている視聴者だって、実は真面目な態度では観ていないのが現実だ。
実は、広告主にとっては、視聴率よりも、視聴質の問題の方が大きいと思う。



CMになった、他チャンネルをザッピング。
ケータイにメールが入ったら即返事。
面白いサイトを見つけたらテレビ番組なんかそっちのけ。
よくある姿だ。自分がそうだもの。



街頭で見上げて観ていたテレビは、凄い影響があった。
国民が食い入るように、その番組を観て、狂喜乱舞した。



お茶の間にどんと置かれた家具調テレビは、
経済成長のシンボルだったし、
家族のみんなが同じ番組を観て、泣いて笑った。
新聞のテレビ欄が、家族の話題になった。



リビングの床にテレビが置かれるようになった頃から、
テレビを食い入るように観る人は少なくなった。
ましてや、テレビがケータイに納まった日には・・・。
時代とともに、テレビの地位は、
見上げるものから、手の内に納まるものになった。
誰も、テレビを中心に、生活をしなくなった。



手に納まるテレビの中で、お手軽なバラエティやドラマが流される。
ますます、視聴者にとって、テレビは、手の内のものになる。
手の内に納まるようなものは、別に、見逃しても惜しくない。
代替えがいくらでもある。手の内は、ばれる。

現在、ゴールデンタイムのバラエティ番組が低視聴率に喘いでいる。
それは、視聴者が「あきれてそっぽを向いた」結果ではない、
原因も理由もないけど「どうでもいい」のである。
「どうでもいい」から、必要なものだけで良くなっていく。
その結果として・・・
NHKのゴールデンタイムの視聴率が上がってきたという下記のようなニュースが流れた。


NHKのゴールデンタイム番組は団塊世代に受けた
「オーソドックスな番組を続けているだけで、受けや視聴率を狙っているわけではないんですよ。結果的に選んでいただいたことはありがたいです」
夜7~10時台のゴールデンタイムで、NHKは、2008年4~9月の上半期の平均視聴率が13.6%にもなった。これは民放も含めて最も高い数字だ。その原動力になった「ニュース7」「クローズアップ現代」について、広報部では、NHKらしくこう控え目に喜びを表す。
高視聴率については、定年退職して時間ができた団塊世代がこうした番組を好んで見たため、との見方が強い。特に、男性の場合は、民放のバラエティやドラマにはあまりなじめなかったようだ。NHK広報部でも、「比較的、お子さんや若い人よりも中高年の方に見ていただいています」と認める。



この動きに危機を感じた民放各局が、「ドキュメンタリー番組の回帰」に走っている。各局ゴールデンタイムに、ドキュメンタリー番組を持ってくるというのだ。「どうでもいい番組」からの脱却を図ろうというわけだ。
一般視聴者として、その動きを歓迎もするし、期待もする。
歳をとって観るべき番組が、各放送局から流れているのは、とても良いことだ。



しかし、民放各局が、
この世に必要な「ドキュメンタリー番組」を作り続けることができるのだろうか。
視聴者の手の内からこぼれ出るような、物語を追い続けることができるのだろうか。



ドキュメンタリー番組の制作は、大きく捉えると世の中への異議申し立てだ。
異議を申し立てるということは、
広告主から生まれてくるであろう、それなりの抗議も受け入れる覚悟があるということだ。
他人のことは刺すけれど、常に、自分は刺されない位置にいるという特権を少しばかり放棄して、
地道で根気のいる作業を続けるという腹を決めるということだ。
そう考えると、
視聴率至上主義で、広告主が一番の民放に、その腹決めは難しいのではないか。


テレビ各局の手の内の中に、視聴者があるのか。
視聴者の手の内の中に、テレビが納まったのか。
これからも、ケータイ電話片手に、テレビを視聴しながら眺めていきたいと思う。

執筆者: 中村修治/へそ社長