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庶民感覚とは、何だろう。

2008年10月24日

私達は、庶民ですからぁぁぁ。
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麻生首相が、夜の会合で頻繁に高級ホテルを利用し飲食していることついて、記者団から「庶民の感覚から懸け離れているのでは」と質問されブチ切れたというニュースが流れた。


政治家が人気取りのために「庶民感覚」を使うのもいただけない。
また、こういう時期に、「庶民感覚」を楯に、ムダな質問をするメディアもいかがなものか。
その問いに好戦モードで答える首相も、あきらかに「庶民感覚」ではない。
全体的に、気持ち悪い話しである。この気持ち悪さを「庶民感覚」で考えてみたい。



前述のニュースで言うところの「庶民感覚」は、「平均所得では、毎晩ホテルのバーで飲めなないのです。どうせ金持ちになんて私達の慎ましい生活なんてわかりっこない」という、庶民の金銭的感覚のことなのだが・・・。
本当に、貧乏なのが「庶民」で、いいのだろうか。


「庶民は額に汗して働いて、血税を納めているのに、納めた税金がこのように使われるのは、納得できない」と怠慢な役所を血祭りに上げる場合は、庶民の労働感覚のことなのだが・・・。
本当に、弱者が「庶民」で、いいのだろうか。

政治家の言うところの「庶民」は、浮き世を知らない弱者であり、
メディアが使うところの「庶民」は、収入の少ない貧乏である。
結局、格差で「庶民」が語られている。
階級社会の底辺を「庶民」と位置づけて、その「庶民感覚」を政治家や報道に流布させていては、いつまでたってもこの社会は良くならない。そんなことを続けても「妬み」や「怒り」がスパイラルするだけで、このマイナスの局面をプラスに転じることにはならない。何の出口も見いだせない。




この記者の「庶民感覚からかけ離れている」という問いを、瞬時に「高くない=経済的観念」の問題として切り返すところに、政治家の「悪しき庶民感覚」が露出している。
一国の首相であるなら、そんな質問に目くじらを立てずに、「私は、庶民に選ばれた代表である。貴方の言う庶民とは、何かね?」と逆質問でもして、メディアの言うところの「悪しき庶民感覚」を炙り出すぐらい度量が欲しいところであった。


いまの政治や報道機関の考えている「庶民」のペルソナは、
「すべては公平でいて欲しいと言いながら、誰かを切り捨てるときには、自分に関係のないところから切っていくべきだと言う。誰かに手を差しのべたら、私にもと寄ってくる。利己的で、大局的な見地を持たない者=困ったバカ者」なのである。
だから、その人達の言うところの「庶民感覚」は、「弱者」や「貧乏」の感覚とした方が、世論の指示を得やすい。「庶民の痛みを理解して・・・」と言っておけば、なんとか乗り切れる。それくらいのものして「庶民」を捉えているから、いろんなところで失言問題が起こったりするのだと思う。


何でもかんでも「庶民感覚」と言い出す政治家やメディアは、なるべく信じない方が良い。
その言葉を聞く度に「バカにするな」と思った方が良い。



簡単に「庶民感覚」なんて言う悪しき政治家を排除し、
「庶民感覚」で番組を作っていると軽々しく言わないメディアが社会を是正していく。
それが成熟した社会であり、正しい「庶民感覚」の使われ方であると願う。
カニ風味のかまぼこが、本当のカニでないように・・・。
「庶民感覚」の政治やメディアは、本当に「庶民」のための政治や番組づくりを実行しない。


「庶民」とは、確かに、弱者であり、貧乏でもあるが・・・。
「庶民」とは、国を動かす原動力でなくてはならない。
だから、庶民の私は、次の選挙には、行くべきである・・・と、
逆ギレ首相のニュースを観て思った次第である。

執筆者: 中村修治/へそ社長