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「ヘンタイよい子」にトドメを刺そう。
もう~広告業界は、ぎゅうくつじゃぁ。

「80年代は専門職として磨かれたコピーライターが発信していたが、今は経営も広告も全体的に把握する『棟梁』が(作り手)に求められている。」この言葉は、糸井重里さんが、昨年春の「広告批評」休刊宣言のニュース時に朝日新聞に寄せたコメントである。
2009年、いよいよ広告屋の肩書き=職能の再編が必要になってきたのだ。
その『棟梁』待望論中身について考察してみる。
雑誌「広告批評」が創刊されたのは、1979年。その年の、全広告費の80%は、マス4媒体で占められていた。まさに、栄華だ。糸井重里さん自身が「おいしい生活」というコピーで一斉を風靡したのも80年代前半。あのコピーライターブームから、かれこれ30年。2008年のマス4媒体の広告費占有率も、約50%となった。
古い型の広告ビジネスモデルは、30年という寿命を全うしよとしているのだ。
「広告批評」初代編集長である天野祐吉さんは、『マス広告は20世紀の産物で、特にテレビは向こうから押しかけて来る一種の暴力性があった。だからお目付け役として我々が批評的な役割をになった』と、その雑誌の役割を語ったが・・・・マス媒体の解体とともに、その役割を失ったというわけである。
この大きな変化のうねりは、間違いなくインターネットメディアがこの世に生まれた90年代中盤に見えていた。前述の、糸井重里さんに引導を渡したのは、故ナンシー関さんである。
「誰かが『もうおもしろくねぇんだよ』とでも突っ込んでくれたら、どんなに気が楽になるだろう。糸井重里がテレビで尊重されている大きな理由のひとつに『80年代を捨てきれない大人になったヘンタイよいこ』というのがある気がする。『イトイ的なカンジ』にひかれた子供 が、現在30代半ばになり、『あの、イトイさんと』の思いを遂げている結果が、『糸井重里よくテレビに出てる』ではないのか。」と批判している。
1995年の話しである。この時期に「広告批評」も休刊を発表していたら、何か違う新しい手段が生まれたのではないかと思うのは、私だけだろうか。
伸び続けたマス広告費の収益でサービス(制作やマーケティング等)を拡張して、競合プレゼンを繰り返し、そのご褒美としてマス広告をいただく。「制作扱いをとったところが、スポット発注を受ける」という常識が邪魔をして、「本当のサービス」を収益化できない。そんな、どんぶり勘定の『ヘンタイよいこ』は、いまだ、業界を跋扈している。
そういうヒトの頭の中では、ウェブ戦略も、マス媒体の収益によるサービス程度にしか捉えられない。なので、マス媒体の制作とスポット出稿を獲りに行く競合コンペが大好き。それこそが、仕事になる。
でも、広告屋が競合プレゼンを続けるのって、どうよ?
2009年も、同じ事を繰り返すのって、どうよ?
故ナンシー関さんの広告屋への批判から、さらに15年の月日が経った今年。
どんぶり勘定の『ヘンタイよいこ』には、間違いなくトドメが刺される。
欧米では、広告屋の地位は高く、メディアスペースの値引き合戦やクリエイティブの数社コンペなどという虚しい状況は皆無なのだという。クライアントと広告代理店の間の関係づくりそのものが、どうも日本と欧米とは違うようなのだ。
では、欧米と日本の広告屋とは、何が違うのか?
そのヒントになるのが、ニューヨークのインタラクティブエージェンシーR/GAで使われている職能=肩書きである。
・ユニバーサルプランナー
・コミュニケーションチャネルプランナー
・ブランデッドコンテンツクリエーター
・データテクノロジスト
組織体制自体が、営業ラインがあって、スタッフがクリエイティブ、メディア、マーケ、SPとなっている→そんな日本型の従来の縦割り構造ではないことがわかる。
「顧客」と「クライアント」を対峙させて、その仲介役として、何ができるかを・・・ハイブリッドかつオーバーラップして提案をする。その本質的サービスを収益化しようとする意気込みが、その肩書きから見てとることができる。
日本の広告屋さんのプレゼンのための全体会議に同席する機会が多いが、クリエイティブ、メディア、マーケ、SP・・・それぞれが余所余所しい。クライアントや顧客のために、ハイブリッドかつオーバーラップな意見を言う人は少ない。
糸井重里さんが言うところの『棟梁』がいない。
インタラクティブエージェンシーR/GAにあるところの『ユニバーサルプランナー』がいないのである。
『棟梁』や『ユニバーサルプランナー』なら、つねに「広告投資」に関する「回収」を、総体的にイメージしてプランする。「顧客」の実生活の動線に沿ってチャネルとコミュニケーションを考える。経営も広告も全体的に把握できるユニバーサルなプランニング能力こそ、『棟梁』になるための必須なのである。
では、ハイブリッドな知識とセンスとオーバーラップできるコミュニケーション能力があれば、次代に必要な『棟梁』になれるのか。それなら、「営業職」が頑張ればなんとかなるじゃんと考えがちだが、こういう時代・・・そうでもない・・・。
そこで、こんな面白い報告が公開されていたので紹介する。
「Flip The Media =既存のメディアをひっくり返す」という研究プロジェクトが、ワシントン大学で行われているという。新聞やテレビで長年の経験を持つジャーナリストとデジタルコミュニケーションを研究する学生のコラボレーションにより、メディアの未来を模索しようというプロジェクト。どちらかがどちらかを駆逐するといった反目的な未来像ではなく、2つを統合した 新しいメディアを創造するとは、どういうことか?が、建設的に研究されている。
その研究報告の中で・・・
既存メディアの現役記者とインターネット世代の研究者の活発なやり取りの中で、一つの可能性が見えてきている。それは、市民メディアが情報発信を し、大手メディアはそれをjudge(検証)する、という役割分担だ。大手メディアは数や機動性において市民メディアにかなわない。一方、市民メディアは 情報の検証や倫理の点で大手メディアのクオリティーを確保できない。それぞれが欠点を補完しあうことが、新しい時代のジャーナリズムの理想的な形だというのだ。
大手メディアは滅び行く恐竜で、市民メディアこそが新しい潮流だという見方は時代遅れだ。両者が膝を交えて新たな可能性を探るべき時が来ている。
そう『棟梁』や『ユニバーサルプランナー』に必要なのは、
古くさい意識を捨てて純粋に膝を交える度量と勇気なのではないかと思うわけだ。
既存の「メディア論」や「大衆論」や「マーケティング論」や、
そういう専門知識を捨てて、膝を交えることから、新しい何かを建ち上げてみる。
『棟梁』は、考え方ではなく・・・
行動が、真にユニバーサルであるべきなのである。
22年前、『ヘンタイよいこ』に憧れて入った広告業界が、瀕死だ。
今年は、私自身の行動と職能の再編も、そろそろ真剣に考えてみることにしよう。