papercompany&kinax TOP > しょーがないじゃ しょーがない > 「5万回斬られた男」から見た「派遣斬り問題」!

「5万回斬られた男」から見た「派遣斬り問題」!

2009年01月19日

派遣斬り、派遣斬り・・・・という年末年始のニュースを繰り返し見ていたら、通称「5万回斬られた男・福本清三さん」のことを思い出した。
大ヒットした映画「ラスト・サムライ」で、主人公のトムクルーズを常に見張っている寡黙なサムライ役でブレイクした、もうすぐ66才という日本一の斬られ役である。
東映太秦映画村では福本さんの名を冠した時代劇ショーが上演されているくらい、知るヒトぞ知る存在である。

その魅力を綴ったいくつかの書籍が出ている。
その中には、派遣斬りのニュースで騒がしい日本に、足りない何かを見つけることができる。
語りかけるべき言葉がある。

『日本一の斬られ役・福本清三』(福本清三 聞き書き・小田豊二)の前書きにこんな一節がある。

人には誰でも「約束された場所」がある。
その場所に行くと、なんだか心が落ちつき、ここにいるために自分が生まれてきたと確信できる場所、それが「約束された場所」である。
神父なら教会、医師なら病院、教師なら学校、パイロットならコクピット、画家ならアトリエ、サラリーマンなら会社、そして主婦なら台所かもしれない。

そして、その場所を一生かけて探すのが「人生」だとするならば、福本さんの一生を象徴する居心地のいい場所は、いったいどこなのだろうか……。

とうとう、福本さんに前もって聞くこともできないまま、僕は、京都に会いに出かけることになった。
福本さんに、僕の願いが通じた。
「約束された場所」で、福本さんは「えらいこっちゃ」と笑いながら、初体面の僕を待っていてくれたのだ。福本さんが、最も心が安らぐ場所。それは、撮影所の掲示板の前だった。



「台詞なんかありますかいな。あれば、台本をくれますがな。台本なんか必要ない役やから、掲示板に私の名前が書いてあるんです。」



撮影所の掲示板を見に行くことは、その日だけのちょい役をもらうための大部屋俳優の日課なのだ。
その苦くて辛い場所こそが、日本一の斬られ役・福本清三さんの「約束の場所」だというのだ。

『おちおち死んでられまへん 斬られ役ハリウッドに行く』(福本清三 聞き書き・小田豊二)には、福本清三さんは、俳優になりたくてなったわけではないと記されている。


口減らしのために故郷を出て、たまたま働いたのが東映の京都撮影所だったくらいの程度だったらしい。何も知らない少年は、台本に名前も載らない斬られ役の町人や侍の役をもらうために、当日に貼り出されるこの掲示板を40年以上見続けてきたというわけだ。


そして、浪人とサラリーマンの暮らしを重ねて、彼は、こんなことを言っている。
「リストラされて、仕事がなくなってしまった元サラリーマンだって、それまで毎朝剃っていたヒゲを剃らなくなって、不精髭(ぶしょうひげ)も生えてくるじゃないですか。そうすると、なんだか心のなかまで不精髭が生えてくる。まさに、『浪人』の気持ちって、そういうことなんですね」と。


口減らしのために田舎から出てきて、やむなく働きだした撮影所。
そのちょい役発表の掲示板の前が「約束の場所」だなんて、決して羨ましい人生ではない。


福本清三さんも、最初から、その場所が「約束の場所」だなんて感じてもいなかったと思う。
若い頃は、悔しさや情けなさやいろんなことがないまぜになった「屈辱の場所」だったに違いない。
しかし、その仕事を愛し、美しい斬られ方にこだわり続けた結果、「屈辱の場所」は、特別な場所へと換わったのだ。
世間から見たら割に合わない仕事であっても、毎日毎日、魂を磨いて取り組めば・・・
いつしか仕事から愛され、「約束の場所」が与えられる。

「派遣斬り」の次は、正規雇用者のリストラ・・・。
6月末までには、失業者170万人という試算が出ているという。有効求人倍率も0.76まで墜ちている。この機に、「そもそも派遣なんて選ぶちゅうのが甘い。失業は自己責任だ」と息巻いても、それは、もうそんな問題じゃない。市場が、歪み始めているのだから。

だからと言って、「働くところがない」「住むところがない」ことに対して、一時的な一般倫理に基づく正義で、派遣法を見直したとして根本的解決はされないと思う。

何故なら、企この不況に派遣斬りをせざるをえない根底には、正規社員も、非正規社員も、働く者を法律で過剰に守れと叫ぶ市場から生まれた約束事が企業をがんじがらめにしている事実がある。

言い換えると「人間にとって仕事とは何か」という教育や議論を抜きにして、無意識のうちに「守られている労働者」だけが増えていった結果が、現在だ。


正規であっても、非正規であっても、「仕事」は、「仕事」だ。



『仕事が人をつくり、人を育てる。人は働きながら、その人となっていく。』

小関智宏さんの「仕事が人をつくる」(岩波新書)からの、一節だ。私は、この言葉に、凄く共感する。そのインタビュー対象である職人さんたちを見つめてこう言う・・・。
『生き方として器用に立ちまわれない人たちが、その手先から、社会には欠かせないさまざまなものを作り続けている。こんなケチな仕事、こんなつまらぬ仕事 と、わが身を呪いながらも、いざそのものに向き合えば精魂を込めてしまう。それが多くの職人たちの性(さが)だろう。』




今日も映画村で斬られる福本清三さん。
日々、旋盤の上で、精魂込めてもの作りに励む多くの職人さん。
生き方が器用でもなく、法律なんかに守られこともなく、
「仕事」で、我が身を守り、
「約束の場所」を見つけた市井の人達がたくさんいる。

今回の不況・・・失業者170万人になるかと言われる日本。
短期的に「守られる」法律は、確かに必要ではある。



・・・がそれよりも、この混沌と、この屈辱の中に、希望を見いだすとしたら・・・
「人間にとって仕事とは何か」という根本の議論がされる機会が訪れたということだ。

法律は、
「約束の場所」を用意してはくれない。
日本を強くは、しない。

「屈辱の場所」を「約束の場所」に換えられるのは、自分である。
そんな個々の「仕事観」の束が、次の日本を強くする。

執筆者: 中村修治/へそ社長