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YouTube王国発→ラジオ復活論。

2009年02月06日

『BRUTUS (ブルータス)』2008年12/15号の特集「I ♡YouTube」は、面白かった。
特に、「YouTubeにまつわるスゴイ数字、教えます」というコラムに掲載されている数値の数々は、テレビ凋落のニュースをあちこちで聞いている者にとって、説得力がある。



その数字を抜粋する。
●世界のネット人口は約10億人。
●その中でYouTubeを利用しているユーザーは2億8000万人。
●うち日本は1980万人で、日本でのページビューは数は1か月で約15億。
●日本の月間1人あたりの利用時間は平均1時間14分13秒。

アメリカの月間1人あたりの利用時間は平均51分なので、
日本は世界一のYouTube大国というわけだ。

ちなみに、
●世界で1分間にアップロードされる動画は約13時間分。
●今あるすべての動画を見るには、約2000年かかる。


YouTubeの試験的サービスが始まったのは、2005年の半ば。
・・・ということは、ここまでの規模になるのに、わずか3年半しかかかってない。
「動画投稿」には、1か月で約15億ページビューだけの魅力があるのだ。
それは、何か整理してみた。


動画投稿の魅力①
『自分放送である』
ひとりで全部できる。自分で考えて、自分でディレクションして、自分で編集して、自分で投稿→メディアに掲載できる。


投稿動画の魅力②
『規制が緩い+好きなことを発信できる』
基本的に広告モデルではないので、規制が緩く・・・「好きなこと」を発信するというメディアの本質に立ち返れることができている。


投稿動画の魅力③
『設備投資が要らない=制作コストがかからない』
投稿したら→掲載される。パソコン一台ですべてがまかなえる。その機能自体の進化はあるだろうが、究めて仕組みはシンプルである。
以上の視点を揃えてみると、「制作コスト高+広告収入源」で苦しんでいるテレビとは、真逆のメディアであることがわかる。



そこで、考えてみるっ。
YouTubeに一番近い既存媒体って、「ラジオ」ではないかと・・・。
動画があるかどうかの決定的な大きな違いはあるが、
『自分放送である』『規制が緩い+好きなことを発信できる』『設備投資が要らない=制作コストがかからない』という3点だけを捉えたら、ラジオっぽくない?

・パーソナリティが、ほとんど1人で番組を仕切れること。
・テレビほど考査や規制が強くないこと。
・ほんの数人で操作できる、数万人を対象にした既存の設備があること。

ラジオがしゃべっている本人と、スタッフ数人が喰えれば良いというメディアになれば、細々とかもしれないが「面白いメディア」としてラジオは生き残れると思う。



テレビがそのメディア力を失いつつある根本的な問題は、「そんなにお金をかけて、そんなに高い給料の人達が集まって」→「その人達が喰わなきゃいけない儲かる番組を作らなきゃいけない=つまらない番組になる」という、悪いスパイラルにある。

その点、ラジオは、制作コストがかからない。「喰わなきゃというより、1人になってもしゃべりたい+伝えたい」を優先することが可能な希有なメディアである。考えてみたら、そもそも、リスナーからの投稿ハガキを紹介するという『CGM』的な要素の強いメディアでもある。



だから・・・
[b]ラジオを音楽の箱と捉えない→「音楽」を捨てる。
新聞局やテレビ局から独立する→「公器」であることを捨てる。
結局、「広告」収益モデルとは違うことを模索する。
その勇気があれば、ラジオは、YouTubeと同様の『CGM』として復活できると思う。[/b]



松本人志や北野武やナイナイなどの優れた芸人達が、テレビではできないことをラジオで展開し、高い聴取率を稼ぐ例は多い。なかでも2001年に放送が開始された「松本人志の放送室」TOKYO-FM系列深夜放送は、まことにYouTube的である。1時間番組であるが、途中に一切の広告は入らない。松本人志が「肩の力を抜いて話すことができる場所が欲しかった。」と始めた番組で、当初のコンセプトは、「誰にも(聴いていることを)言うな。」だったらしい。


自分ひとりでできる、一番自分らしい番組を、低コスト、広告主の強制なしに流すことができる。そして、リスナーは、それを「自分だけの、誰にも口外できない番組」として聴く。
テレビに飽きたら、呆れ果てたら→YouTubeかラジオという動きは、意外と現実的なものだ。遅れた媒体だけど・・・遅れた分だけ、いま見直すと、ラジオって、結構いけてる媒体だ。



日本の広告費の内訳を見たら、インターネット広告費の伸長が顕著で、新聞や雑誌やラジオが肩身の狭い重い商品している。しかし、「ラジオ」と「雑誌・新聞」の落ち込みは、少し質が違うような気がする。「雑誌・新聞」は、インターネット普及による「情報は無料」という意識の仲で相対的にシェアを奪われていると考えるが・・・。「ラジオ」は、違う。たぶん、インターネット登場による生活時間の使い方の変化により、ラジオに触れなくなっただけだろう。ラジオから流れる「情報の質」に対する幻滅や飽きからではない。
だから、ラジオが『CGM』として、小さくだが改めて裾野を拡げる可能性は、まだあると考える。


前述のように日本は世界一のYouTube大国だ。
・・・それは、世界一のラジオ大国になることもあり得るということだ。
時代が大きく変わる時~革命やプロパガンダに、ラジオというメディアは良く似合う。

執筆者: 中村修治/へそ社長