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『エヴァ』と『宇多田ヒカル』の関係っ。

2009年02月22日

『エヴァンゲリオン新劇場版:破』の公開日が今年の6月27日(土)に決定した。
その記念に、「エヴァ」オタクである宇多田ヒカルを勝手に心配してみたいと思う。
そこに、アーティストとしてのヒッキーの魂を感じるのである。

宇多田ヒカルが15才の若さで衝撃的なデビューを果たしたのは1998年。かれこれ10年である。「エヴァンゲリオン」オタクであることは、ファンの間では、公然の事実。そのオタクが高じて、映画とのコラボレーションを実現。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」のテーマソングに、「Beautiful World」という楽曲を提供までしている。


その経緯が、goo音楽の宇多田ヒカル「Beautiful World/Kiss & Cry」特集に、スペシャルメッセージとして掲載されている。


「私が前、『週刊プレイボーイ』でエヴァ特集やってたときにインタビューを受けて、それを読んだ庵野さんとか関係者の人たちが、「こんなにわかってくれて るんだ」とか、「こんなに深くまで考えてくれてたんだ」っていうので、「じゃあ、お願い」っていうふうに来たらしいのね。だから歌詞も、やっぱりエヴァン ゲリオンのテーマでもある、子と親の信頼関係とか、人と人の間にある壁とか、そういう人間関係のテーマとか、こう…やりとりみたいなものに触れてる歌詞に はしたかったんだ。でも、そんなあからさまに、何か人と人のことみたいなのもいやだし、そんな幾ら難しいこと言っても結局は何かだれかに愛されたいとか、 だれかを愛してるとかそういうことだから、簡単に言っちゃうと。だから、結局そういう、だれかを強く想ってるっていうのが歌詞のストーリーになるんだろうなぁと思ってた。、で、いろいろコーラスのところは試したんだけど、結局、あの最初の1行(♪もしも願い一つだけ叶うなら 君の側で眠らせて)、で「あ、何かこれが何かしっくりくるから、もうこれでいいや」と思って、そこがわかりやすいじゃない?あとはもう何か抽象的になってもいいけど、ここだけは決めておこうと思った。」



楽曲提供に至ったきっかけは、、『週刊プレイボーイ』でのインタビューだと言うことだが、そこで何て言ってたのか?この内容が、凄くディープなのだ。宇多田ヒカルが天才たる所以が、その言葉から感じられる。探し当てたので転載してみる。

「エヴァに乗ることって生きることだと思う。細かく言っちゃえば、仕事をすることだったりね。こんなに辛いのに何で私は仕事をしているのだろうとか。 結果的には自分で選んだことなのに。辞めたい、とデビューした頃とか思ってて。あのナイフで使徒を刺しているシーンに私が抱くすべてが集約されていたというか。『うわぁぁぁ』でしか表現できない気持ちを感じちゃったんです、あのシーンから」

「いつも”逃げたい”という気持ちとか、ね(笑)。私はずっと自分がこの世界にいないような気がしていた。消えたいとかって。15歳でデビューして、 有名になって、自分が望んでいないものがポンと入ってきちゃって。周りからは『幸運』みたいな言い方をされるけど。私からするとこんな十字架みたいな役 目なんかいらない。そう思っていた部分があって、普通に大学に行って、会社に入ってとか、ね。今は自分の環境とか仕事とか立場とか全部に対して和解した けど。今、実際、起きている世界でいいじゃんって。仕事を辞めても私は私だし、と考えたら、いろんな未来が見えてきて、いろんな可能性があった。気が楽になって。シンジ君が好きというか自分自身に近いから彼には共感できるのかも」

「エヴァの魅力は、すべての根源というか源がテーマだから。誰しもが人として、生き物として持ってる共通点の一番低い値を突きまくっているから古くなりえない。私がエヴァから感じ取ったのは、家族との距離、他人との壁、寂しい気持ち。ある種、ダシそのもの。鰹節と昆布の塊でできている作品だから、味が古くなることはない」



「碇シンジ」がエヴァに選ばれ、苦悩したように。
「宇多田ヒカル」も、選ばれてしまった者として、『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』って、おのれの内面と葛藤し、苦悩してたのか。痛い痛いと言いながら、宇多田ヒカルは、エヴァンゲリオンに乗っていたのだ。



宇多田ヒカルの発表する歌の批評には、その曲づくりの危険な部分が良く指摘されている。誰もが安心して聴けるという意味でのセーフティーさがなく、メロディーを作っている音の長さと高さの選び方が普通じゃないらしい。長い音の後に急に短い音が連続したり、突然予想できない高さに動いたりするのだそうだ。これって、エヴァに乗ってる碇シンジの精神性そのものじゃないか・・・。


これから、どうなるのだろう?大丈夫か、宇多田ヒカル?
ひとりのファンとして心配である。
悪魔で推測だが、こういう精神性のヒトの暮らしは、とかく不安定である。
だって、碇シンジがそうだもの。
碇シンジは、エヴァに乗ることだけが、その不安定を脱する手段で・・・
また、乗りながらも『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』ってなる。・・・永遠に続く。

宇多田ヒカルにとっての楽曲づくりは、エヴァに乗るようなものなのだろう。きっと。
そうして、エヴァのために作った楽曲が「Beautiful World」である。

「Beautiful World」っていう世界自体(実は)存在しないんだけど、どんな場所であっても、誰か深く想える人が存在していることで、そこがいるに耐えられる場所になるんでしょ、って思って。
なんか、生きること、「生」ってほんと耐え難いものじゃない?。なんかそれに耐えうるよりどころ….これがあるから生きてようとか、これがあるからいられるなここに…みたいなものがあるから「Beautiful World」と言えるっていう。逆にそれがなかったら、「なんだこんなクソ世界!」っていうところに行っちゃうんだけど。だから願いに何の価値ないと思うんだけど、願わずにいられないから、もう認めるしかないじゃない。」


こんな気持ちで作った歌詞の最初の1行が・・・
(♪もしも願い一つだけ叶うなら 君の側で眠らせて)だ。
碇シンジのために書いた詩なのだが、前述の話しをに翻って考えたら、自分に向けて書いた歌詞だ。

宇多田ヒカルは、
永遠に届かない、手に入れることのない「Beautiful World」を、
本当に純粋に求めに行っている気がしてならない。
「強くならなきゃ」って、常に『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』ってなる。
だから、あんな素晴らしい歌詞、素晴らしいメロディーが書けるのだろう。
楽曲を聴いている私たちは、エヴァにナイフでメッタ刺しされる使徒みたいなものだ。



だから、ますます心配だ。
だって、答えはないもの。
次から次へ、使徒は現れるもの。
その永遠の先には、死があるもの。



宇多田ヒカルの危うい行く末は、エヴァンゲリオンの碇シンジが、今後、映画でどう描かれるかと重なってくる。
『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』・・・・。

執筆者: 中村修治/へそ社長