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なぜ、オタクは、シャツをズボンに入れるのか?

2009年02月24日

昨年、秋葉原UDX「AKIBA_SQUARE」において旗揚げプレ興行を行ったアキバプロレス。
その興行には、リングアナと観客とのやりとりが、ひとつのお約束となっているらしい。

アキバプロレスのリングアナが、試合の開始直前に、観覧の注意事項として『シャツはズボンの中に入れて観戦して下さい』と叫ぶ、すると観客席から大ブーイング。さらに語気を強めて『シャツはズボンの中に入れて観戦して下さい』と繰り返し、大ブーイングが返ってくる。これで、一挙に会場はヒートアップするというのだ。

数々の女性誌やバラエティ番組で、「シャツをズボンに入れる」という典型的なオタクファッションは、馬鹿にされ、蔑みの対象となってきたが・・・・。アキバという聖地の中の、アキバプロレスという場で、そのことを共に話題にして、決起することができるヒト達が出現してきたニュースを聞くと、オタクは、「ネオ・オタク」へと確実に進化してきている。

従来の論調で「シャツをズボンに入れる」ファッションは、
蔑みの対象として下記のように語られている。



カーちゃんが買ったのを、
そのまま着ているから説。

趣味にお金をかけるので、服にお金をかけない→
そうすると、カーちゃんが買ったのを着る→
当然、一昔前の小学生のようなファッションになる。
カーちゃんは、いつまで経っても自分の子供に、子供らしくして欲しいから。


必要以上に几帳面説。
オタク的収集癖と几帳面さは比例するという説。
ズボンの外にシャツを出してダラダラ、ヒラヒラしている自分は、ありえない。また、栄養失調気味なので、痩身なタイプが多く、タックインの方が、落ち着く。


モビルスーツが大好きだから説。
オタク文化の頂点とも言えるガンダム。その連邦軍の細身のモビルスーツがアリなのだ。
オタクの人がシャツをズボンの中に入れると、大抵ビグザムっぽくなるからという説。



しかし、上記の説が正しかったら、アキバプロレス現象は起きないと考える。
ただのオタクをバカにした理論だし・・・何も新しくない。



そこで、珠玉の文章を見つけた。これだから、ネットは面白いっ。
これぞ、ネオ・オタク論ってのを発見したので原文ママで転載させていただく。もう休止をされているブログなので了解なく掲載するが、お許しいただきたい。

ここでの書き手である「僕」は、
「オタクをやめてから」なんて書いて一般人ぶったりしていましたが、所詮自分のは「一般人のコスプレ」でしかなかったことを思い知りつつある今日この頃として、語り出している。
正真正銘の、ネオ・オタクからのオタクファッション論だ。



「彼らを見つけよう、星の天幕の向こうに!」より

なぜ、オタクはズボンをルーズに穿かないのか?なぜ、シャツをタックインするのか?なぜ、ドライバーグローブやバンダナやロザリオを身につけたがるのか?


・・・それは、オタクの「敵」が、ズボンをルーズに穿いたり、シャツをズボンから出していたり、ピアスをしたりするからではないだろうか。


オタクな男の天敵は、親でも教師でもPTAでもACCSでも京都府警でもなく、「チャラ男」(一般的な基準から見てチャラくないかもしれないが、オタクの目にはチャラく写る相手)である。
知識や空想を愛するオタクを馬鹿にし、蔑み、無視し、女の子を奪っていく(とオタクに感じさせる)存在。オタクもまた、チャラ男を馬鹿にし、蔑み、憎み、妬む。奴らは馬鹿で、何も考えておらず、成績も悪いし(なんでこんな簡単なことすらわからないのに生きていけるのだろう!)、チャラチャラしていて、そのくせ自分たちをいじめ、軽んじ、いつも楽しそうにしている。馬鹿な3次元女は自分たちでなくあちらを選んでしまう。奴らさえいなければ、もっとましな青春が送れたかもしれないのに・・・!(ほんとうにそこまで思ってる奴ばかりじゃないと思うが、思ってる奴はいるだろう)


それへの反抗なのではないか。
あるいは、それと同じ位置に自分が「堕ちる」ことへの恐怖なのではないか。
頭の悪い奴と見下している相手と同じ事をしてだらしなく笑う自分を想像して恐怖し嫌悪する。それを遠ざける。自分はそうではないということをアピールしたい から、そいつらと違う服装を律儀に、かたくなに維持する。オシャレをする人がみんな敵ではないけれど、敵はみんなオシャレをしているのだ。必ずしているの だ(なにしろそれが「敵」の定義だから)。


だからオタクはオシャレをしない。単に知らないとか、興味がないとかいうレベルではない。オタクはオシャレを拒絶する。かっこよくなってモテたいという欲求と、奴らと同じ格好はしたくないという反発がせめぎあって、その結果がドライバーグローブであったりバンダナであったりする。あれは、(無意識ではあるが)意図的にファッションを外したオシャレなのだ。故に、必然的に、ダサい。それに共感する人からのみ、格好よく見てもらえる。だから、オタク同士はオタクファッションをダサいと思わない。


オタクはプライドの高い生き物だ。自分が一生懸命やって、なおかつ負けるのに耐えられない。敵の土俵で勝負はしないだけの知恵は持っている(裏返せば軟弱なだけであるが)。だから、敵の土俵であるファッションでは勝負をしない。


僕が昨日感じた恐怖はそれ(の名残)だったのではないかな、と、思った。僕が蔑む相手はみんなズボンをルーズに穿く(ルーズに穿いている相手を無条件で蔑むわけではない。逆は真ではない)。だから僕は、きちっと上までズボンを上げなければならないといつの間にか信じていた。きっとどこかあこがれていながら、でも自分はそれをしたくないというのは、そんな奇妙な反発心なのだと思った。



「オシャレを拒絶する」という確固たる意志の元に、「シャツをズボンに入れていた」という。
言い換えれば、敵の土俵に上がらないという作戦を遂行するための「戦闘服」としてのオタク・ファッションだというのだ。



すべてのオタク・ファッションに、この意志が貫かれているとは考えにくいが・・・。こういう戦闘服宣言をして、「ズボンからシャツを出して=一般人のコスプレをする」若者が居ることを逞しく思う。彼らが、ズボンからシャツを出して=戦闘服を脱いで纏うだろう、生身の武器は、きっと強いはずだ。

最近、メディアを騒がしている「草食系男子」のプライドより、一般人のコスプレを選択するネオ・オタクのプライドの方に、可能性を感じる。「オタクコンテンツ」のメジャー化は、こういうネオ・オタクのプライドを支えに進んでいくのだと考える。

執筆者: 中村修治/へそ社長