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とりかえしのつかない名前っ。
「とりかえしつかないことの第一歩 名付ければその名になるおまえ」と詠んだのは俵万智さんである。
社会全体に、とりかえしのつかない第一歩を踏み出したようなネーミングが氾濫していると感じているのは、どうも私だけではないようだ。
先週の「週刊文春」4月23日号には、「先生が名前を呼べない子供たち」という特集が組まれていた。最近の、女の子も男の子も、一度では、読めない名前が増えてきた。その名付けの変化は、ここ10年劇的だと言うのだ。
その記事の中で、個人的に気になった子供の名前ベスト5は、こんなところ・・・。
【男の子の名前】
和源→わーげんくん、天使→みかえるくん、英雄→ひいろくん、強運→らっきいくん、沙風→さあふぁくん
【女の子の名前】
愛声→あのんちゃん、絆→はあとちゃん、樹里亜菜→じゅりあなちゃん、楓→はいじちゃん、美海→まりんちゃん
ちなみに、明治安田生命が毎年発表する「名前ランキング2008」のトップ3は、
【男の子の名前】
大翔→ひろとくん、はるとくん
悠斗→ゆうとくん、はるとくん
陽向→ひなたくん、ひゅうがくん
【女の子の名前】
陽菜→ひなちゃん、はるなちゃん
結衣→ゆいちゃん
葵→あおいちゃん
このベスト3も、そもそも、読むのが難しい。
「名前ランキング2008」には、さらに、こんな名前も紹介されている。奏人→タクト、光舞→テルマ、月→ライト、獅人→レオト、大虎→タイガ、星穏→シオン、遥空→ハルク、琉煌→ルキヤ、怜音→レイン、瑠楓→ルカ、望来→ミライ、伶音→レノン、來夢→ラム、心暖→シノン、煌羅→キラ・・・きりがない。何でもありだ。
珍しい名前ををみんなで評価するサイト「DQNネーム」には、4月20日に、こんな名前が新しく登録された。流楽→るんら、愛々→なな、桜心→ももね、詩映愛→しえら、洛→りいち、美心菜→みふぁな、翔飛→しょう、肇陽→はっぴ、綺麗麗→きらら、宙大→ゆうだい・・・これじゃ、一見では、絶対に読めない。先生って、大変だなぁ。今日も、読めない名前がどんどんと増えているのだ。
その昔、子供の名前につけたい漢字の意味や読みには、「こんな人になってほしい」という想いが託されていた。だから、幸・豊・仁・義・礼・智・信・直・博・貴・真・優・秀・良・和・美・清などが使用されていた。親なら誰もが願う、子供達への想いが同じだったから、よく似た名前も多かった。南総里見八犬伝の中に出てくる漢字が、自分の名前に入っていることを誇りに思ったりした人達も多かったろう。
そして、時代は変わった。個性が重視され、価値の多様性を認めなくてはいけない。だから、使われる漢字も、バラエティ豊かになった。翼・翔・颯・陽・菜・葵・桜・望・優・彩・凛などなど、画数の多い判読の難しい漢字が、命名に使われるようになった。それ自体を悪いとは思わない。
しかし、意味や託したい想いより「呼び名=音」を優先させて、難しい漢字を組み合わせるのは、いかがなものだろうか?奏風→カナタ、琥神→ライガ、乃海→ノア、翔空哉→カグヤ、琉希亜→ルキア、晴心→セイン・・・残念ながら読めない。かわいければいいじゃん。目立った方がお得でしょ。という問題ではない気がする。
大きなお世話だと言われれば、それまでなのだが・・・。
週刊文春の記事には、この状況を危惧する日本司法支援センターの加藤卓也弁護士のコメントが記載されている。『名前は、その人物が社会で認識されるための符牒です。他人が読めない名前には、社会性がありません』と。
数年前に、子供に「悪魔ちゃん」と付けた親が役所と司法で争うニュースが話題になったが、その裁判所の見解は、「命名は子のためになされるべきであるから、親権者がほしいままに個人的な好みを入れて恣意的な命名をなすのは不当であり、子が将来成長して社会活動をするに当たり、自らその名を用いて満足を感ずるような名を選んで命名すべきであり、命名権の濫用と見られるような行為は許されない。」と「悪魔ちゃん」命名は、却下された。
民宗研のサイトの「珍名にみる社会学」には、こんな記述がある。
凝った名前を付ける親は児童虐待しやすい――。盛岡市で二十日開かれた児童虐待問題特別研修会で、大阪大学の西沢哲・助教授(大学院人間科学研究科)が保健師ら約百三十人を前に講演し、ユニークな持論を披露した。
西沢助教授は、セラピストとしての豊富な実務経験を基に講演した。その中で、西沢助教授は「凝った名前には、子供を支配したいという気持ちが出ている」と指摘し、子育てがうまくいかないと、怒りが子供に向けられがちな背景を説明。さらに「凝った名前に横やりを入れる人が周囲におらず、虐待のストッパー(歯止め役)がいないことの現れ」などと実例を交えながら説明した。また、西沢助教授は「最近は、まるで暴走族のチーム名のような当て字の名も多いが、名付けという行為一つにも家庭の様子が見て取れる」と話した。
少し暴論の気もするが。一理は、ある。
子供の未来に託すことは、社会性よりも、個性。
「自分らしく生きて欲しい」という想いが、「読めない名前」の源泉。
「自分らしく生きて欲しい」の裏側には、「自分らしく生きることができなかった自分」「自分らしく生きることを許さなかった親への反発」がある。
だから、子育てがうまく行かなかった時、歯止めがない。
ストレスが、その名を付けた我が子に向かう。
結婚すること。子供が生まれること。
それは、自分らしい暮らしを延長することではない。
むしろ、社会を受け入れること。
客観的に言えば、自分の暮らしの中に、他人を入れること。
「自分らしく生きる」ことを、少しあきらめることでもある。
そうして生まれてきた子供の名前には、「自分らしく生きる」ことを託すのではなく、一刻も早く、広く社会に認められる人間になれと託すのが全うではないかと考える。
昨年より、おもしろいほどネーミングの仕事が増えた。
会社の名前や、施設の名前や、媒体の名前や、マンションのブランド名や・・・いろんな名付けをする機会に恵まれている。
そこで、常に考えていることは、「企業らしさ」を修飾する形容詞を探し出したらキリがないということ。企業都合の独り善がりな造語やカタカナは、山盛り出てきて迷うだけである。
だから、極力、社会に向き合うことを是として、言葉を抽出する。
「自分らしく生きる」ための形容詞を捨てて、残るものから名付けをすると、意外と上手く行く。総意形成がしやすくなる。
名前は、
みんなに読まれて、
みんなに呼ばれて、
そのヒトになっていく。
だから
読みやすく 覚えやすくて 感じよく 平凡すぎず 非凡すぎぬ名
が一番。俵万智さんの言うとおりである。
※参考「DQNネーム」より