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マス広告は、スルーされているっ。
日本の社会に、「情報流通」というコトバが世間に流通しはじめたのは、1998年あたりだったと記憶する。1999年7月のNTTの新体制スタートでは、「グローバル情報流通産業」を目指すと宣言。あれから10年が経ったわけである。
では、果たして、この10年間に「情報流通」の量は、どのくらい増えたのか?その辺りのことが、経済産業省発表の「情報流通センサス」レポート平成18年版に掲載されている。データは、平成8年から平成18年までの10年間のもので直近10年というわけではないが、一番近い、正確な数値と言うことで掲載させていただく。
①発信情報量
各メディアの情報発信者が、1年間に送り出した情報の総量。複製を行って発信した場合及び同一の情報を繰り返し発信した場合も含む量は、ここ10年で何倍になったか?
約97倍
②消 費 情 報 量
各メディアを通じて、1年間に情報の消費者が実際に受け取り、消費した情報の総量は、ここ10年で何倍になったか?
約64倍
③選択可能情報量
各メディアの情報受信点において、1年間に情報消費者が選択可能な形で提供された情報の総量は、ここ10年で何倍になったか?
約532倍
④パーソナルメディアに限った選択可能情報量
パソコン、ケータイ電話等のパーソナルメディアだけに限定して、1年間に情報消費者が選択可能な形で提供された情報の総量をここ10年で見てみると?
約6785倍
日本人1人の人間が情報を取得しようと思えば得ることの出来るはずの情報=選択可能情報量は、ここ10年で約532倍になった。数字だけを見ると、NTTグループが宣言したように「情報流通」は、ひとつのグローバル産業となったようだ。
ちなみに、世界的規模で見ると(アメリカの市場調査会社IDCによる報告書より)・・・。2007年の1年間に世界で生成・複製されたデジタル情報量は計281エクサバイト。これは、単純計算で500GBのHDD5億6千万個強分。2011年には、その6倍強の1.8ゼッタバイトに達すると見込まれているという。もう、何が何やら・・・想像もつかない。
しかし、情報流通量が爆発的に増えたここ10年・・・ヒトは豊かになったか?が本質的な問題だ。「グローバル情報流通」は、暮らしを便利にはしているが・・・豊かにしているとは実感できないでいる。「情報流通」の可能性を、残念ながら私たちは、享受できていない。
その虚しさを象徴するのが、年々拡大の一途にある「選択可能情報量=約532倍」と実際に消費された「消費情報量=約64倍」との差である。要するに、私たちは、膨大な情報に囲まれながら、そのほとんどを無視しているという点にある。
さらに、消費情報量が約64倍になったからと言って、その消費した中身は・・・
自分の欲しい幅の狭い情報だけを選択して、深く濃くなっていたり・・・
やたらめったら広く浅くなったり・・・
「薄いものor幅の狭いもの」になっているだけなのかもしれない。
情報流通量の莫大な増加を推し進めている「パーソナルメディアに限った選択可能情報」は、いつでも、どこでも取得しにいける「検索+格納可能な情報」であることを私たちは知っている。そうなると、情報鮮度への感覚が鈍る。情報取得と行動の不一致が起こる。情報を故意に無視しているというより、幅広い情報に対して「無感覚」になっている受け手を増加させている。
情報は、関心が生じたときに「こちらから取得しにいくもの」という意識が定着したら、マス広告のような、プッシュ型の広告情報は、さらに意義をなくすことになる。広告は、目には入っているけど、無感覚であるがゆえ、無意識にスルーしている。テレビは点いているけど、広告は届いていない。
自分にとって興味のない情報には、有益でない情報には、無意識にオフスイッチを入れる。そんな機能を、パーソナルメディアは、情報の受け手である私たちに付加させたのだ。
耳には、入ってきているけど、情報として処理されない。
目には、入ってきているけど、自分の中で情報化されない。
視聴率でも、視聴質でも、広告効果を送り手の論理で測定・予測できない時代になっている。結局は、動いたかどうか、行動に結びついたかどうか・・・費用対効果=ROIこそが、選択可能情報量爆発的増加の時代の広告指標となるしかない。
インターネットを開けば格納されているはずであろう広告コンテンツを、テレビで真面目に視聴して、行動へと結び付けていくような、従順な視聴者など、もういない。垂れ流される広告を文化だというクリエイティブ呆けもお払い箱だろう。
消費情報量を遥かに超える選択可能情報量約532倍の世界では、情報の受け手にとって、その情報達を結びつけて、有意義なものに見せようとする「編集の価値」が相対的に高まる。そこで、重要なのは、情報を拡げて伝えるのが得意な「映像」よりも、情報を編集して集約していく「言葉」である。
タイトルの時代。コピーの時代。シナリオの時代。
無駄にならない、無視されない、
そんな言葉を紡ぎ出すセンスが、
広告に、企業経営に何よりも必要な時代になったのだと考える。