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敢えて「I ラブ さだまさし」。
今月の全日空の機内音楽チャンネルでは、さだまさしがヘビーローテーションされている。出張の帰りに、「雨やどり」「朝刊」「案山子」を不覚にも聞いてしまった。そして、ソフトバンクのCMのさだまさしも気になるが、この時代「さだまさし的なるもの」が求められていると確信した。
フォークデュオ・グレープで「精霊流し」のヒットを飛ばしたのは1974年。デビューして、35年というわけだ。これまでに、37枚のオリジナルアルバムとともに450曲の楽曲を世に送り出す。一方で、「精霊流し」から「解夏(げげ)」「眉山(びざん)」、そして、今年5月には4冊目の小説「茨(いばら)の木」を出版。小説家としても着実に実績を積んでいる。
現在、一部のインターネットでは、「見てくれからは想像もできない繊細な詩を書くポエム作詞芸。現代ではそのセンチな詩はキモいかぎりだが、そのセンスが喝采を浴びた時代もあったのだから、日本って本当に繁栄したよね、実際。ポエム芸のほかは「関白宣言」などに見られる説法芸も得意としているが、やはり現代社会では、女子高生から「ぎゃー、カビくさい」と鼻つまみされかねない錯誤がそこにはある」などと評されている。※「人論」HPより
かつて、タモリは「フォークを聞くやつは女々しい奴だ」と痛烈にフォークソングを批判し、「さだまさしの歌は暗い」と宣った。「フォークソングのお陰で従来の日本男児像が崩壊し女に媚びる弱々しい男が増えた」等と痛烈に批判した評論家も居た。
しかし、現在は、「草食系男子」がもてはやされる時代である。フォークソング(Folk Song)が、元来、民謡を指すということから考えても、この先行き不透明な「きな臭い日本」に、フォーク的なるもの、さらには、「さだまさし的」なるものは、見過ごすわけにはいかない気がする。若い人達にとっては、ソフトバンクのCMの中で、「みそ汁つかない♪」と唄ってる、食い道楽の人形みたいなおっさんという認識しかないかもしれないが、、、起用した制作者サイドには、もっと思い入れがあるはずだ。きっと。
さだまさしの歌に、大きく4つの方向がある・・・・。
「精霊流し」「無縁坂」「縁切寺」「防人の詩」等、日本文化の深部に斬り込んでいく歌。
「償い」「親父の一番長い日」等、社会的な事件を取り上げたメッセージソング。
「道化師のソネット」「天までとどけ」「秋桜」等、ネオ・フォークの系譜となるもの。
「関白宣言」「雨やどり」「朝刊」等、コミックソング一歩手前の楽曲。
どれにしても特徴的なのは、ネット内では「ポエム作詞芸」と揶揄される歌詞にあると思う。
母がまだ若い頃、小さな私の手をひいて無縁坂を昇るというシーンを描いたのは、代表曲「無縁坂」。「運が良いとか悪いとか、そういうことが確かにあることを、母を見て思う」という主旨の歌詞があるのだが・・・当時、中学生の私は、何か凄いものを聞いてしまった気がしたことを未だに鮮明に覚えている。
評論家・吉本隆明は、著書「戦後詩史論」で、この「無縁坂」を、詩人平出隆の「吹上坂」と対比させながら「比較することも滑稽(こっ けい)であるといった戦後当初の流行歌曲の作詞との隔たりを、ここで感ずることはできない」と論じている。
昨今のみんなが知ってる「坂」を唄ったヒットソング言えば、福山雅治の「桜坂」だろう。とても良い楽曲だとは思うが、その歌詞には、あまり感銘するところがない。「Woo Yeah 夢は今も 夢のままで♪」・・・シンプルで、大づかみ・・・しかし、「桜坂」という地域性や物語への深度は浅い。言葉の選択が、最大公約数型でマスマーケティング的である。
しかし、さだまさしは、この類のポピュラリティーを良しとしない。
♪喰べかけの檸檬 聖橋から放る
快速電車の赤い色が それとすれ違う
上記は、「檸檬」という歌詞の一部だが、お茶の水駅で総武線を日頃使う大人達にとっては、ピンポイントで堪らない。「精霊流し」「無縁坂」「縁切寺」「飛梅」・・・長崎や、太宰府などなど、地域限定=ドミナントで、濃い物語を想起させる。その場の、その空気を知るヒトにとってはたまらないシチュエーションが、歌詞に散りばめられている。マーケティング的に言うと、ドミナント戦略で、さらに、ダイレクトマーケティング的。非常に、心に深く届く率が高い=収益効率の良い歌ではないかと考える。
この歌詞の系譜は、現代で言うと「いきものがかり」に引き継がれ、若年層のこころをビッシと掴んでいる。デビュー曲SAKURAには、「小田急線の窓に、今年も桜が映る」という、さだまさし風の歌詞がある。教室や、街の情景の捉え方がダイレクトマーケティング的で、溢れ出てくる言葉を抑えきれない感じが共通している。「泣き笑いせつなポップ」が、いきものがかりのキャッチフレーズなので、さだまさしを表現するなら「泣き笑いせつなフォーク」ということになるのだろうか。
昨年発行の月刊「ダ・ヴィンチ」7月号の中で、小説「茨の木」についてのインタビューを受けて、さだまさし本人が[b]「僕は、じつは、この世の人間はだれでも、9割8分は、邪悪な汚いもので満たされていると思っている」[/b]と答えているという。そして、「9割8分の邪悪な部分を描くのが得意な人もいるが、残りの2分の上澄みを描くのが好き」だと・・・。
ゆるーい性善説から立ち上がるのではなく、性悪説から見えてくる上澄みに正面から向かう。そして、地域限定で、、、シーン限定で、、、ひとつひとつピンポイントの物語を紡いで他人を説得していく。こういう「さだまさし的なるもの」こそ、現代社会の政治やマーケティングに必要な視点ではないかと考える。
ソフトバンクのCMで唄うさだまさしも、また、「ざたまさし的なるもの」である。CMソング「私は犬になりたい¥490」の歌詞を、ぜひ、全部読んでいただきたい。中央線の話も、小田急線の話もちゃんとある。「泣き笑いせつなフォーク」になっている。
デビュー35年を迎えているおっさんが、まだ、闘っている。それも、ケータイ文化の吹き荒れる中で、ちゃんとそこら見えている上澄みを描き続けている。ほんとに、頭が下がるっ。