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『奇跡を信じる若者』がオウム事件直前より増えてる!

2010年04月19日

あなたは奇跡を信じますか・・・。
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「非合理的な存在や力を信じる若者」が増えているらしい。その数字は、オウム真理教事件以前よりも、高い数値を示している。ここ15年・・・何が進んだのか?いや、何が後退したのか?考えてみる。

オウム真理教の活動が社会のニュースになり始めたのは1980年代後半のバブル絶頂期。そして、バブル崩壊後の1995年3月20日地下鉄サリン事件を起こし摘発された。その影響で、「非合理的な存在や力を信じる若者」率は、いったん下がったらしいのだが・・・。この混沌とした2010年。「非合理的な存在や力を信じる若者」は、オウム真理教が盛んに活動していた時代よりも増えているという結果が出ている。


このデータの元は、NHKの放送文化研究所が1973年から継続して5年おきに行っている、全国の16歳以上の国民5,400人に対する「日本人の意識」調査。(個人面接法。2008年の有効回答数は3,103人である)。
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2927.html


その興味深い数字を拾ってみると・・・
「あの世を信じるか」という問いに対して
16~29才の若年層は、22%の人が信じると答えている。
これは、地下鉄サリン事件直前の1993年の結果と同数。
その伸びる勢いは、近年の方が著しい。
30~59才の中年層においては、
1993年よりも9ポイントもアップしている。



「奇跡を信じるか」という問いに対しては、

16~29才の若年層は、38%の人が信じると答えている。
これは、地下鉄サリン事件直前の1993年よりも10ポイント以上高い。
30~59才の中年層においても、10ポイントのアップである。

1995年のオウム摘発後に、いったん落ちた「非合理的な存在や力を信じる若者」率は、回復どころか、さらに、増え続けている。事件当時16~29才の若年層であった人達も、そのままスライドして「非合理的な存在や力を信じる中年層」になっていることがわかる。

この調査データが興味深いのは、この点だけではない。
一番重要な視点は、逆に、60歳以上の高年層で、こうした非合理的なものを信じる者の割合が、年々減っている点にあると考える。
「奇跡を信じるか」の問いに対して、若年層と高年層の間には、実に、32ポイントの差がある。
この意識の隔たりは、大きい。

「奇跡を信じるか」という問いに、バカ正直に100%信じると答えている若年層は少ないと思う。「奇跡を信じたい」という願いも込められた38%なのだろうが、それに対して60歳以上の高年層は、たった6%である。


「リアルなお年寄り達VS奇跡を信じたい若者達」]という構図が、さらにハッキリしちゃったのが現在なのである。

意気軒昂なお年寄り達がこの調査結果を見たら「今時の若い者は、自分の足で立たない」「若い者は、他力本願でいかん」ということになるのだろう・・・。知ったかぶり評論家達は、新興宗教や自己啓発セミナー隆盛の温床が、また、出来上がってしまっていると嘆くのだろう・・・。しかし、それは逆効果である。


マスコミが「若者の○○離れ」と煽り、石原都知事が新党の立ち上げ会見で若い奴に何ができるのだと叫ぶ度に、「非合理的な存在や力を信じる若者」は増え続けていくということを肝に銘じてもらいたい。


ハッキリ言わせて貰う。「奇跡を信じていたいと答える若者達を一方的になじるお年寄り」は、老害である。そんなお年寄り達が権力争いをする現実の世の中に対するアンチテーゼとして「奇跡を信じる若者達」の増加である。それを、ただ「弱い」と切り捨て、変な宗教が増えるかもしれないと嘆いても「害」にしかならない。


言い換えると・・・日本を支えてきたはずの良い大人達が「奇跡を信じない」「奇跡を語らなくなった」ことが、この閉塞した社会の根本的原因ではないだろうかと考える。

宗教学者である中沢新一さんの「アースダイバー」という著書[/url]の中に、こんなアメリカ先住民の神話と記述がある。

『はじめ世界には陸地がなかった。地上は一面の水に覆われていたのである。そこで勇敢な動物たちがつぎつぎと、水中に潜って陸地をつくる材料を探してくる困難な任務に挑んだ。ビーバーやカモメが挑戦しては失敗した。こうしてみんなが失敗したあと、最後にカイツブリ(一 説にはアビ)が勢いよく水に潜っていった。水はとても深かったので、カイツブリは苦しかった。それでも水かきにこめる力をふりしぼって潜って、ようやく水底にたどり着いた。そこで一握りの泥をつかむと、一息で浮上した。このとき勇敢なカイツブリが水かきの間にはさんで持ってきた一握りの泥を材料にして、私 たちの住む陸地はつくられた。
頭の中にあったプログラムを実行して世界を創造するのではなく、水中深くにダイビングしてつかんできたちっぼけな泥を材料にして、からだをつかって世界は創造されなければならない。こういう考え方からは、あまりスマートではないけれども、とても心優しい世界がつくられてくる。泥はぐにゅぐにゅしていて、ちっとも形が定まらない。その泥から世界はつくられたのだとすると、人間の心も同じようなつくりをしているはずである。』

高度成長という奇跡を信じて経済を支え続けてきたお年寄り達が、いま若者達に語るべき奇跡とは、こういうぐにゅぐにゅした泥みたいな話なのではないだろうか。

若者達が想い望む奇跡と現実の間を結ぶことのできる具体的な奇跡の話を、お年寄り達自身の口から聞くことがなければ、懸念している通りの「奇跡を待つだけの空虚な若者達」は増加する一方である。

少なくとも私は、リアルな話しかしない年寄りにはなりたくない。

執筆者: へそ社長