今年はどんな終戦の日?

●福岡県護国神社
所在地 福岡市中央区六本松1-1-1
●祭神
明治維新から大東亜戦争に至る福岡県の殉国十二万柱
●ご利益
平和とは何かを自分に言うて聞かせる機会を持てること
ここんところ、終戦記念日は靖国神社に政治家の誰々が参拝するとかしないとか、そんな話題で朝から晩までやかましい。今年は幸いに、テレビがぶっ壊れているので、そんなわずらわしい報道も耳に入らない。夕方、「みたままつり」の様子を見に行こうと、護国神社に参拝した。
地禄神社のナゾ

ボクが高校2年生まで住んでいたのは、博多区の那珂というところ。校区内の竹下にも、地禄神社があった。
こっくりさんで、油揚げをお供えした神社である。
塩原にもあるのだが、実は福岡市のいろんなところにあるらしい。地禄神社でググってみると、トップに
福岡市立東光小学校 校区おもしろマップが躍り出た。
親富孝はアジアンな街になったか?

親不孝通り(この表記がしっくりくるのでこの書き方で勝手ながら統一させていただく)に、いつの間にか関帝廟ができていた。
そのことを知ったのは、親不孝通りに編集部がある「FUKUOKA NOW」を見て。あの通りも紆余曲折を経て(今も瞑想中な感じがしないでもないが)、ああいう風になった。クラブにも飲み屋にも縁がないボクは、ほとんど私情を感じない街になってしまったが、それでも関帝廟には私情アンテナがピピッと、立った。
台風が来ました

夕方、突然JRや西鉄が運休するという。あわてて帰宅しないと、ということで、どこにもお参りに行けなかった。台風のおかげでかえれない人、出張している人、無事に帰ってきてくださいな、ということで立帰天満宮(西公園のところ)をご紹介。
西公園の光雲神社へ登る参道の途中に、ひっそりとある。花見で酒をかっ喰らって、ふらふら歩いていると見逃すこと間違いなしだが、素面でも見逃してしまうかもしれない。
お寺は集会所

先日、日田の界隈をウロウロした。幕末、日本きっての教育者であった広瀬淡窓の「咸宜園」を見て、豆田町を散策すること2時間あまり。途中見かけたこのお寺に、ずっと同じおばちゃんがいて楽しそうに話しているのがとても印象的だった。
お寺は江戸時代、戸籍を管理する役所でもあり、手習いをする学校であり、寄り合いをする公民館であり、と、いろいろな機能があったと思われるが、まさにそんな様子を彷彿とさせる光景だった。
比叡山つながりで

比叡山つながりで、先日京都を訪れた際、比叡山延暦寺東塔を訪れていたことを思い出した。というのはウソである。比叡山延暦寺では、きちんと御朱印帳も買ってきたし、根本中堂などをお参りし、かなりの衝撃を受けてきた。
ずっと頭の中にあったけど、どう書いていいのか分からないから、放置していたのだった。
比叡山といいますが…

比叡山といっても、京都と滋賀の県境にある、有名なあのお山ではなく、宮崎県延岡市にそういう名前の山がある。
もとは、北方町という、地名が十二支になっている全国唯一の町だったが町村合併で延岡市に編入された。ちなみに、この比叡山は未地区にあり、十二支の地名は温存された模様。
この山は、本家の比叡山に負けないくらい神秘的に思えるのだ。
あえて天安河原宮

高千穂に来ると、ホッとする。神話の故郷というのが高千穂のキャッチフレーズだが、ボクにはむしろ「正しい山里」という感じ。ところどころ、神々の匂いみたいなものを強烈に意識させるところがあるが、それはもう、住民の方々の努力としか言いようがない。
神様や神話をウリにして、みんなで喰っていく。神様で商売するのは不謹慎ではない。これも、信仰の一つの形だとボクは思う。
そんな高千穂で好きな場所の一つが、天安河原である。
山頂のとんがり

基山山頂(正確には坊往山山頂)は、駐車場からほど近い。
草スキー場の急斜面をのぼり、展望所のある広場を抜けると、そこにタマタマ石が鎮座する。
高く先端が尖ったものに、神は宿りやすいとされているが、今や、昭和7年に建立された「天智天皇欣仰碑」の方が天に刺さる。基肄城は天智天皇の国土防衛&外交政策による建造物なので、由来はそこんところ。